うちの近くには江戸川が流れています。
その昔、放水路を作ったので途中で本流の江戸川と、かつての本流である旧江戸川に分かれます。
地図を見ていると、この川が分かれるあたりで都県境が曖昧になっています。

Yahoo地図
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これはYahooで表示した地図ですが、別れた上が江戸川、下が旧江戸川です。
江戸川は東京都と千葉県の都県境になっているのですが、この辺りは境が引かれていません。
都県境が曖昧ということは、東京都江戸川区と千葉県市川市の境も曖昧ということです。
次にgoogle mapをご覧ください。

google map
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こちらの地図では、ややこしい線がちゃんと引かれています。
どちらが正しいのでしょう?
この曖昧な地図上で中州にある江戸川区となっている地域には国土交通省の水門を管理する河川事務所があって、ここの公式な住所は江戸川区東篠崎町250番地となっています。電話番号も東京03です。
付近には東篠崎1丁目と2丁目という住居表示を実施した地名もありますが、ここは都県境が画定していないので住居表示未実施で未だに東篠崎町(ひがししのざきまち)のままです。
一方、千葉県市川市側の住所はこちらも住居表示未実施で番地もありませんから、市川市河原番外地、もしくは市川市河原無番地ということになりましょうか。
実勢に従えば、googlemapが正解ということになりますが、公式には都県境未画定ですからYahoo地図も正解と言えます。
この境界未画定地域には野球ができるグラウンドがあって、かつてここで火災があった時に東京消防庁と市川市消防局のどちらの管轄かで一悶着あったようです。現在では地理的に急行することが可能な市川市が担当するようになっているようです。
早速取材に。写真撮っただけですが。

江戸川水閘門江戸川区側
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まずは江戸川区側から。旧江戸川沿いの道路に突然現れます。
付近には江戸川スポーツランド、ポニーランド、江戸川清掃工場等の区や都の施設があります。
水閘門(すいこうもん)の上は道路になっていて、人と自転車は渡ることができます。付近の橋が遠いのと自動車専用だったりするからかもしれません。

江戸川水閘門市川市側
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次に市川市側から。この位置も一応江戸川区東篠崎町になるのですが、この後ろはグラウンドになっています。少し進むと市川市の行徳街道旧行徳橋の南詰に出ます。
この道は昼夜を問わず意外と通行量が多くびっくりします。
しかし、どうしてこんなことになったのでしょうか?
話は大正時代にまでさかのぼります。
江戸川の放水路を作る前から江戸川の中心が都県境という取り決めになっていたようです。
問題の中州の位置に江戸川が流れていました。
ところが放水路を作ったので江戸川の中心が旧江戸川の方に移動してしまったので取り決め通り市川市は旧江戸川の中心を境界として中州はすべて市川市だとして市川市河原としました。
驚いたのは江戸川区。元の境界が境界として中州の一部も江戸川区の行政区域であると主張したようです。何度か話し合いが行われたようですが、ことは江戸川区と市川市だけでなく東京都と千葉県の境界問題にもなるので、双方の主張を確認してそのまま境界未画定地域として結論を棚上げしたようです。かくして境界未画定地域として90年以上残ってしまったとのことです。
このような境界未画定地は江戸川区と千葉県浦安市との間にもあります。ネズミーランドの脇の河口のあたりが境界未画定地域です。東京湾の中なんてどうでもいい話のように思えますが、埋め立て地が欲しい東京都、パイプラインの固定資産税が欲しい東京都、千葉県の主張が対立して未だに未画定です。
まだあります。ネズミーランドとは反対側、荒川の河口は江戸川区と江東区のとの間で境界未画定です。理由は似たようなものでしょう。
これらの境界未画定の場所は国土地理院の地形図でも未画定です。
どんな意図があってgoogleは東京都の主張する線を引いたのでしょうね?
どローカルな話でした。
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