アマチュア無線業務日誌
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くらりさんのブログの記事を読んで、ブルトレ全盛期はどうだったんだろうと改めて思いまた。ネタもないので今日は国鉄時代の列車、とりわけブルートレインについてwikipediaなどを参考にしながら少し掘り下げてみます。
ブルートレインという言葉が一般的になったのは「走るホテル」とはやされた20系客車が登場してからだろうと思います。
狭義では20系、14系とその派生形、24系とその派生形から組成される夜行の寝台専用の特急列車であるといえます。全盛期は寝台急行もこの範疇にはいるかもしれませんが、ヘッドマークがなかったので議論の分かれるところです。
ブルーとは言いましても20系客車は青15号で、以降の14系及び24系は青20号で少し明るい青色です。青15号は583系電車やEF58電気機関車に使用されていましたし、青20号は東海道・山陽新幹線でおなじみのあの青色です。
さて、20系客車はそれまでの旧型客車や10系寝台車から東京-博多間の「あさかぜ」をはじめとして、全国の寝台特急を置き換えていきました。
20系客車の特徴は、はじめて電源車を連結し編成内のサービス電源はすべてここで賄う設計にされたことです。これにより全車両を冷房化することが可能になり窓を固定、台車にはエアサスの採用、食堂車のレンジを石炭から電気にと、固定編成ならではの思想と設計であっという間にブルートレインの代名詞となりました。ただし、扉だけは電磁ロックですが手動で開けなければなりませんでした。集中電源方式による本格的な寝台専用列車の誕生です。 20系客車 急行銀河 Wikipediaより転載
ナロネ21 座席状態 Wikipediaより転載
ナハネフ22 洗面所 Wikipediaより転載
しかし、固定編成では分割併合ができず、波動輸送に柔軟な対応ができないことから、当時大阪万博の波動輸送で活躍していた12系座席車の設計思想で14系客車が開発されました。20系と比較して寝台幅を広げ、電源車を持たない代わりに、編成中の床下にディーゼル発電機を組み込む分散電源方式の14系客車はニューブルートレインとして新しいブルトレブームを巻き起こしました。
しかし、10系客車が使用されていた急行きたぐにが北陸トンネル内で火災事故を起こし、同じ分散電源方式の14系は危険との判断で、14系客車とほぼ同じ設計で再び集中電源方式とした24系客車が登場しました。14系客車はのちに安全・難燃対策を施したうえで14系15形となりました。この時の共通設計により後に14系と24系間の異系列改造が容易になったといわれています。
1970年代後半からは国鉄のPR作戦もあってブルートレインに星のマークを入れたり、ヘッドマークやテールマークに図案を採用するなど新時代の寝台特急として変貌を遂げます。しかし、今から思うとこの時期がブルートレインの全盛で、以降斜陽化していくことになります。
国鉄も末期には個室寝台を増やしたり、編成両数を柔軟にしたりしてサービスの拡充と合理化に励みましたが、国鉄離れを食い止めるには至らず合理化だけが突き進んでしまう結果となりました。その間に航空運賃の低下、高速バス路線網の確立、新幹線鉄道網の拡充、宿泊料金の低下と、夜行列車にとっては一層苦難の歴史となりました。
1980年における主な寝台列車を見てみましょう。
・東京口
1 さくら 長崎・佐世保 14系
3 はやぶさ 西鹿児島 24系25形
5 みずほ 熊本・長崎 14系
7 富士 西鹿児島 24系25形(日豊本線経由・当時最長距離列車)
2001 出雲1号 浜田 24系25形
9 あさかぜ1号 博多 24系25形
8011 あさかぜ51号 下関 20系 (臨)
13 あさかぜ3号 下関 24系25形
15 瀬戸 宇野 24系25形 (国鉄宇高航路連絡)
2003 出雲3号・紀伊 出雲市・紀伊勝浦 14系 (名古屋で分割)
6101 急行銀河51号 大阪 14系座席車 (季節臨)
103 急行銀河 大阪 20系
347M 普通 大垣 153系(大垣夜行・現在のムーンライトながら)
8115 急行銀河53号 京都 14系座席車
・関西口
23M 明星1号 新大阪-西鹿児島 583系
3001M 彗星1号 新大阪-宮崎 583系
25 明星3号 新大阪-西鹿児島 24系25形
201 急行阿蘇・くにさき 新大阪-熊本・大分 14系座席車
41 あかつき1号 大阪-長崎・佐世保 14系15形
8027 明星51号 新大阪-西鹿児島 14系座席車 (臨)
6031 明星5号 新大阪-熊本 24系25形(季節臨)
3003 彗星3号 新大阪-都城 24系25形
45 あかつき3号 新大阪-長崎・佐世保 14系15形(佐世保編成は筑豊本線経由)
203 急行雲仙・西海 大阪-長崎・佐世保 14系座席車
33M なは 京都-西鹿児島 583系
35M 明星7号 新大阪-博多 583系
3005 彗星5号 新大阪-大分 24系25形
21M 金星 名古屋-博多 583系
705 急行だいせん5号 大阪-大社 20系
4001 日本海1号 大阪-青森 24系25形
4003 日本海3号 大阪-青森 24系
4005 つるぎ 大阪-新潟 24系25形
501 急行きたぐに 大阪-青森 10系+12系(米原経由)
505M 急行立山5号 大阪-糸魚川 475系
・上野口(東北線系統)
103 急行八甲田 青森 12系(東北線経由)
401 急行津軽1号 青森 10系+12系(奥羽線経由)
6403 急行おが3号 男鹿 10系+旧客(奥羽線経由・季節臨)
1001 あけぼの1号 青森(奥羽線経由)
5M はくつる 青森 583系(東北線経由)
1003 あけぼの3号 青森 20系(奥羽線経由)
31 北星 盛岡 14系(東北線経由)
405 急行津軽3号 青森 10系+12系(奥羽線経由)
403D 急行出羽 酒田 キハ58系(奥羽線経由)
103M 急行いわて3号 盛岡 455系(東北線経由)
1101 急行新星 仙台 20系(東北線経由)
・上野口(常磐線系統・全列車青森行き)
5013M ゆうづる1号 583系
13M ゆうづる3号 583系
6201 急行十和田1号 14系座席車(季節臨)
203 急行十和田3号 20系
15M ゆうづる5号 583系
5007 ゆうづる7号 24系
7 ゆうづる9号 14系
5017 ゆうづる11号 24系
17M ゆうづる13号 24系
205 急行十和田5号 12系
・上野口(上越・信越系統)
603 急行越前 福井 10系+旧客(信越線経由)
801 急行鳥海 秋田 10系+旧客(上越線経由)
3001 北陸 金沢 14系(上越線経由)
3605 急行能登 金沢 10系+旧客(上越線経由)
803 急行天の川 秋田 20系(上越線経由)
707M 急行佐渡7号 新潟 165系(上越線経由)
6301M 急行妙高7号 直江津169系(信越線経由・季節臨)
301 急行妙高9号 10系+旧客(信越線経由)
6303M 急行信州9号 長野 169系(信越線経由・季節臨)
以上は主要ターミナルからの夜行急行・特急を中心にしたものですが、このほかにも九州島内や北海道内、近距離完結の夜行列車も多くありました。
もちろん、座席だけの急行列車や普通夜行列車も多くありました。
東京を発車する九州方面の寝台特急は特に「九州ブルトレ」と呼ばれ、ブルートレインの花形でした。青函トンネルが開通し北斗星が運転されるまで、国鉄で「1列車」を名乗る名誉ある列車は「さくら」しかありませんでした。現在は北斗星しかありませんね。
私は20系客車はあさかぜの臨時でしか乗ったことはないのですが、いい思い出です。
東京駅では機廻しが行われ、上野駅では客車列車は推進で次々と入線してきました。
20系客車はあけぼのを最後に定期列車からは引退し、それ以降は臨時列車や団体列車、A寝台車がカートレインに使用されたこともありましたが、全車廃車となり形式消滅しました。
14系や24系も国鉄からJRに変わり、寝台列車が次々と廃止される中で順次廃車が進み、JR東日本がカシオペア専用E26系を新造した他は、すべて24系や14系のオリジナル、もしくは改造車で賄われています。
北斗星やトワイライトエクスプレスのような食堂車組み込み列車を運転するころにはすでに14系や24系の食堂車は廃車されており、電車の食堂車(サシ)を客車に改造するという前代未聞の工事が施されました。
すでにJR各社は新系列客車を作る気はなさそうなので、現在の14系や24系が廃車になれば基本的に日本の寝台列車の歴史は幕を閉じると思われます。もちろんE26系は新系列ですが、昭和40年代の質実剛健な設計とは根本的に異なりますので、14系や24系ほど車体は持たないと思われます。そう考えると今のうちに乗れるだけ乗っておかないとという気持ちになります。
私は1970年生まれですのでブルトレ全盛期に少年時代を過ごしました。「ブルトレ全盛期を知っている。」それだけでも幸せかもしれませんね。
機会があれば80年代からの歴史も記事にしてみようと思います。