アマチュア無線業務日誌
ブログ本文記事はこの下からです。
HRDLOGにアップロード済み最新30局分のログです。
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今日は、所用で若松区に行きました。
筑豊本線の起点のある若松駅ですが、当駅から折尾駅までは電化されていません。ディーゼルカーが走ります。
若戸大橋がよく見える位置だったので写真を撮ってみました。
かつては東洋一のつり橋だった若戸大橋も現在は北九州市道路公社が管理する市道になってしまいました。もちろん有料です。現在はこの下にトンネルを掘っていて、渋滞の緩和に貢献するようです。
写真はクリックで拡大します。撮影データを掲載しておりますが、要するにカメラ任せのフルオートです。>< 若松駅付近から望む若戸大橋
撮影データ NikonCOOLPIX P50 f/5.6 1/342秒 ISO-64
焦点距離17mm パターン測光 35mm換算焦点距離102 若松渡し場から望む若戸大橋
撮影データ NikonCOOLPIX P50 f/4.8 1/444秒 ISO-64
焦点距離13mm パターン測光 35mm換算焦点距離78 若松渡し場から望む若戸大橋全景
撮影データ NikonCOOLPIX P50 f/5.6 1/417秒 ISO-64
焦点距離05mm パターン測光 35mm換算焦点距離28 若松渡し場から対岸の戸畑渡し場の渡船
撮影データ NikonCOOLPIX P50 f/5.6 1/254秒 ISO-64
焦点距離68mm スポット測光 35mm換算焦点距離408 デジタルズーム4倍
この、若戸渡船は北九州市経済産業局が運航する若戸航路という市営の渡船で、橋を人が渡ることができませんので人や自転車を乗せることができます。車は橋を渡ります。(普通車200円)
現在の運賃は100円ですが、ずっと以前は20円でした。100%値上げ!と大騒ぎされたこともあるのですが20円が40円になっただけでした…。
そのころは運賃が安かったので記念に乗船券…ではなく記念に定期券を買い求める観光客もあったようです。
現在の通勤定期券は3,600円ですが通学が630円という破格な値段です。
また、自転車専用の定期券もあり大人1,500円です。記念に買うにはこちらの方がよさそうですね。
書店で「おとなの鉄道地図帳」というのを見つけましたので購入しました。
昭和30年代の鉄道地図と資料がおさめられたもので、なかなか興味深いものでした。学研から880円です。
写真は北九州・筑豊地方の昭和30年代の鉄道地図です。
私が生まれた時には既になかった路線も含まれています。
まず、北九州市内でみますと西鉄北九州線と北方線がすでに廃線です。
門司駅と門司港駅の間に関門急行線という記述がありますが、これは国鉄バスが持っていた路線で博多から下関までを結んでいました。もちろん高速道がない時代ですから国道経由です。関門鉄道トンネルができてからもしばらく運行されていたようで、関門連絡船の記述もあります。関門急行線は国鉄が路線廃止したためにその後高速道路ができてからも国鉄バスは運行できませんでした。その後しばらくは西鉄とサンデン交通が路線免許を取得し黒崎駅と山口県の仙崎駅を結ぶ路線バスを運転していましたがそれも休止され、現在は同社が下関と福岡を結ぶ高速バスを運転しています。国鉄がこの路線免許を持っていたらJR九州バスが走っていたことでしょうね。
鹿児島本線接続のローカル線は遠賀川からの室木線ですが、地図の鞍手駅は当選廃止後は筑豊本線に鞍手駅として名前だけ復活しています。
勝田線ももうありません。国鉄になる前の事業主が違っていたことから香椎線宇美駅と勝田線宇美駅は離れていましたが運賃計算上は同じ駅として取り扱われていました。
筑豊本線接続のローカル線はほとんどが廃止されています。
中間駅からの香月線ですが、香月駅は北九州市内の駅なのに北九州市内駅からは外されていました。折尾から香月まで北九州市を通らないからです。旧香月駅跡地は西鉄バス北九州の香月営業所になっています。
直方からの伊田線、金田からの糸田線、伊田から行橋の田川線は現在「平成筑豊鉄道」として営業されています。伊田駅・後藤寺駅はそれぞれ「田川後藤寺」「田川伊田」と駅名が変わっています。
香春(かわら)から添田を結ぶ添田線は真っ先に廃止されました。典型的な炭坑路線です。
勝野からの宮田線は正直記憶にありませんが、おそらく炭坑路線なのでしょう。
後藤寺線から延びる漆生(うるしお)線も真っ先に廃止された路線の一つです。乗っておけばよかったなぁ。(T_T)
飯塚から延びる上山田線も炭坑路線で早々と姿を消しました。
篠栗線は吉塚らか篠栗までしか開業していませんが、このあと桂川(けいせん)まで延びることになります。
小竹から延びる幸袋線も記憶にありません。幸袋っていい駅名なのになぁ。
筑豊地方の路線は炭坑路線を中心に発達した経緯がありますから、往年は旅客列車よりも貨物列車の方が多かったという現実があります。
炭坑がなくなると、旅客列車を運転しても働いていた人が町を出ていくので乗客がいないというどうしようもない現実がありました。政府の急激なエネルギー転換政策の影響です。現代の技術で採掘すれば、まだ良質な石炭が掘れる可能性もあり、貴重な資源なだけにもったいない話です。このような事情は北海道の炭坑路線にも全く同じことが言えます。まだ廃線跡が残っている場所もあるようですので、機会を見つけて行ってみようと思います。